西野亮廣さんで学ぶ行動経済学
目次
初めに
キングコングの西野さんは、月額980円〜のオンラインサロンビジネスをやっていたり、詐欺まがいなクラウドファンディング商法をしたりしていることが話題になっていますよね。
そんな中、「やり方は汚いけど、西野さんから学べば自分も成功できるのでは?」と考える人もいるようですね。
しかしだからといってわざわざ彼のSNSなどに張り付いて観察したり、サロンに入って講義を受ける必要はありません。
なぜなら、やっていることはただ行動経済学を利用しているだけだからです。
ということで、今回は西野亮廣さんを例に行動経済学を学んでいきましょう!
ゼロコストの利用
だったら、もう『お金』なんて要らないです。
僕とあなたの間から『お金』を取っ払います。
『お金』を払いたい人だけが払えばいいようにします。
僕の財産は、『えんとつ町のプペル』という《作品》だと思うのですが、
個人の財産を個人が独り占めするのではなく、分配し、皆の財産にしようと思いました。
皆が豊かになった方が、巡り巡って自分も豊かになるだろう、と。
『ギブ&テイク』ではなく『ギブ&ギブ』。
自分のことだけを考えても、その方が良いだろうと結論しました。
お金の奴隷解放宣言です。
抜粋元:キングコング 西野 公式ブログ - お金の奴隷解放宣言。 - Powered by LINE
字面だけ見ると格好良いですね。
『ギブ&ギブ』……なるほど。
以前話題になった絵本『えんとつ町のプペル』を無料公開についての記事です。
当時は「西野さん凄いなぁ」と感心したものですが、どうやら読者からはお金を取らないだけで、収益は得ていたようです。
キンコン西野 大ヒットした『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開!キュレーションメディア『spotlight』から広告収入が入る仕組みに唖然 | Foundia(ファウンディア)
そもそも絵本を無料公開するだけなら自分のLINE BLOGで公開すればいいはずだから、わざわざ収益を見込めるキュレーションサイト『spotlight』を使う意味が分かりません。
ここで西野さんは『無料!』というゼロコストを利用して商売をしています。
要は『無料!』とすることで大きな購買促進(ここではPV数稼ぎ)を実現しているということです。
ゴディバのチョコと袋売りのチョコ
「1個50円のゴディバチョコと1個10円の袋売りチョコ」が並んで売られている様子を想像してみてください。
普通に考えれば、多くの人がゴディバチョコを買うはずだと分かりますよね。
何せ普段は1個200円以上するものが4分の1以下で買えますからね。
参考:ゴディバのチョコレートはバラ売りもしてる?一粒いくら?おすすめの種類は?|カフェを楽しむ!
ところがこれをそれぞれ10円引きして「ゴディバチョコ1個40円、袋売りチョコ1個0円」とした場合どうなるでしょうか。
面白いことに、今度は袋売りチョコの方がよく売れるようになるのです。
この現象は、人が『自分の所有物を少しでも失うことの痛み』を感じるもので、逆にゼロコストであることで失う痛みを感じる心配がないからだと考えられます。
少額でもお金を払うのは躊躇われるが、『無料!』なら気兼ねなく支払えてしまう訳です。
支払える、と表現したのは、Amazonプライムのように「送料無料」でも別でお金が掛かる場合もあるからです。
この『無料!』効果を利用すれば、紙の絵本を購入する潜在客を多少逃したとしても、その絵本に全く興味がなかったその他大勢を『無料!』で釣ることでPV数を稼ぎ、多額のボーナスを期待することができます。
西野さんは費用便益分析を行った結果、ネット上での無料公開を行った方が都合が良いと考えたのでしょうね。
一番の《財産》の活用
「僕の財産は『えんとつ町のプペル』という《作品》」などと言いながら、実際は最近辞めた吉本興業の力を使って得た圧倒的な《知名度》と《信頼》が一番の《財産》だと言うことを理解していたのでしょうね。
訂正:エージェント契約を結んでいるため、吉本興業を辞めてはいないです。
と思っていたら、故意的に騒ぎを起こして口実を作ってから辞めましたね。
表向きは無料公開に踏み切って《お金の奴隷解放宣言》を実行した善人を演じながら、裏では知名度に押し上げられた広告収益をちゃっかりと得る仕組みを作った訳です。オマケに弱きを助ける《善人》だというイメージも手に入るのですから完璧です。
当然ながら、元々《知名度》も《信頼》もあった西野さんだからできたことであるため、簡単に真似できるものではありませんね。
社会規範の利用
さて、このゼロコスト戦略で勝ち得た《善人》や《成功者》というイメージを使って次に行ったのがオンラインサロンの開設です。
ここでは既にGoogleなどの大企業も活用している『社会規範』という仕組みを利用して、ファンに無償で仕事を手伝わせることに成功しています。
これと対になるのは『市場規範』です。
簡単に違いを説明すれば、以下のようになります。
『社会規範』:助け合いの世界
『市場規範』:お金至上の世界
例えば家族の役割として家事手伝いを任されていれば、嫌々ながらもやりますよね。
ところが、同じく家族から「家事手伝いを1日100円でやってくれ」と言われればまずやらないはずです。やるならもっと日給は高い方がいいです。
ちなみに人は基本的に自分の所有物(仕事なども)を高く見積もる傾向があるため、専業主婦の方々が「家事を年収換算すれば……」といって高額になることが多いのはそのためです。
なぜならお金が絡む『市場規範』の世界は情がなく、ただお金の多少が問われるからです。
一方、家族や友人との関係のように『社会規範』の中に留まっていれば、情がある、助け合いの精神が生まれます。
ならば企業としては満足させるのに高くついてしまう賞与よりも、間接的にしかお金が関わらない無料の社員食堂サービスなどを提供した方が安くでき、その上熱心に働いてくれるようにした方が都合が良いですよね。
特典その3
「イベントの参加」
プロジェクトのミーティングや勉強会や、オンラインサロンメンバーの分科会がたくさん作られています。全国規模、さまざまなサロンメンバーがオンラインサロンを通じて“ともだち”になっています。各種イベントへの西野亮廣へのオファーや、飛び入りで西野亮廣が乱入することもあったり。
彼のオンラインサロンの特典その3の説明では"ともだち"が強調されています。
月額料金を徴収しつつも、上手く『社会規範』の中に入れ込むことで、特典その2のアイデア出しという本来はお金を払ってやってもらう仕事を無償でさせることに成功しています。
推しとファンの関係
少し脇道にそれますが、推しとファンの間には温度差があると考えた方が良いです。
ファンからすればお金を払っていたとしても、学校で毎日見かけるクラスメイトと同様、動画や画像、SNSなどを何度も見るうちに次第に親しみを覚えていきます。
一方で推しはお金を受け取る側であり、プレゼントやCD売上の多寡など他人と金銭で競う市場規範がすぐ近くにあります。
その上、そもそもファン一人一人を毎日見るわけでもないため、ファンが抱くほどの親しみを持ちづらい状況にあります。
ですから、仮に握手会などのいわゆる接近イベントがあり、そこで推しに『塩対応』されたとしても仕方がないと割り切った方が良いです。
西野さんの場合はかなり拝金主義気味なので、温度差はかなり大きいはずですから、何か親しみを演出することを仰っていてもリップサービスの可能性が高いと思った方が良いですね。閑話休題。
自己ハーディング
「月額980円なら大したことはないし入ってみようかな。どうせすぐに辞められるし」
そう思っていたら結局ずるずると毎月支払いを続けてしまっている、なんて言うことはありませんか。
これは最近人気のサブスク(サブスクリプション方式)にありがちなことで、『自己ハーディング』を利用しています。
ハーディング "herding"とは「群れる」という意味で、例えばラーメン街のとあるラーメン屋に行列ができていたとしたら、勝手に「こんなに行列ができているのだから、美味しいに違いない」と考えて列に並んでしまうことを言います。
よって、『自己ハーディング』は自分の以前行った行動を受けて、次もまた次も、と同じ行動をしてしまうことを言います。
これは以前この『選択』をして『良い結果』が得られたのだから、次も同じ『選択』をすればまた『良い結果』を得られるだろうという考え方に基づいています。
〜YouTube Premiumの例〜
私の友人にYouTube Premiumの無料期間を利用していたつもりが、結局辞めずに利用し続けてしまっている人がいました。
広告を無視できたり音楽が聴けたりするというメリットを捨てられなくなっていた様ですね。
この例を見ると、以前行った「YouTube Premiumを利用するという『選択』をして多くの『良い結果』が得られた」という経験から、翌月もその次も継続利用してしまうという『自己ハーディング』が起こっていたことが分かります。
サブスクは便利で月額料金も安いため、毎月積極的に利用していれば問題ないかもしれませんが、案外年額で考えればお世辞にもコストパフォーマンスが良いとは言えないものもあります。
YouTube Premiumを例に取ると、音楽配信サービスなら半額以下で利用できるものもありますし、長くて15秒の広告をカットするメリットが本当に支払う料金に見合うのか考えるべきですね。
ちなみにiOSアプリからPremiumに登録すると400円ほど高くなるので注意してください。
恣意の一貫性の利用
人は最初の価格が「恣意」的なもので、でたらめであったとしても、一度それが自分の中で定まると、それがある商品や関連商品の価格判断の方向性を決めてしまいます。
例えば今のカップヌードルは高いと感じませんか。
私の知っている限りでは、以前はスーパーのカップヌードルが80〜120円くらいで売られていました。そのイメージが強く残っているため、内容量は変わらず150〜180円で売られているとどうも高く感じてしまいます。
このように、最初に自分で定めた価格がアンカー(船のイカリ)になり、それ以降の判断に影響を及ぼすことを『アンカリング効果』と言います。
それでは西野さんの例を見ていきます。
『仕事』を『遊び』に変える
『えんとつ町のプペル』に出てくる(?)木の時計台を自分の地元に作り、町興しをしようとしてクラウドファンディングを行っていました。
にしても凄まじい額ですね。これは腕の立つデザイナーや職人を起用してさぞ精巧な時計台を創造してくれることでしょう!!!
……ん?
お金を徴収しておいて、今度は仕事をさせるのにお金を払うのではなく貰うのか……。
皆さんはそう感じたことと思いますが、利用者の方々はそうは感じないように工夫されています。
SILKHAT - 『木の時計台を作りたい』 byキングコング西野│SILKHAT(シルクハット)吉本興業のクラウドファンディング
上のクラウドファンディングサイトを見れば分かりますが、大体は本来お金を払う必要のないモノばかりです。
ここでは『仕事』を『遊び』に変える転換が行われています。普通ならお金を払って『仕事』をしたいという人はまずいないでしょう。しかし、それが『遊び』に変われば話は変わります。
元々『社会規範』の中に組み込まれているファンにとっては西野さんの『仕事』を手伝うことにあまり抵抗はありません。
オマケに"ともだち"を演出しているわけですから、文化祭の準備のようなワクワクする『遊び』感を演出しています。
要は、本来煩雑な『仕事』を「そんな楽しい体験ができるならお金を払ってでも参加したい」と思える『遊び』としてアンカリングさせている訳です。
一度アンカリングさせることに成功した人は外野の人ならまず買わないような「会った時に言って頂ける」などという商品を購入するのも厭いません。
https://www.google.co.jp/amp/s/kinako-mama.com/4212.html%253famp=1
↑木の時計台の件についてまとめてある記事です。
これは流石にやり過ぎでは?と思いますけどね。少数の素人が寄り集まって作った訳ですから、お世辞にも良い出来だとは言えませんし、本気で町興しを期待していたのならプロを雇って金に糸目をつけず大々的に行うはずです。
拝金主義、ここに極まれり。ですね。
《お金の奴隷解放宣言》とは一体何だったのでしょうか。
本人不在とはバカリズムさんのSMプレイネタを思い出しますね。
行動経済学について
以上ご紹介してきた通り、西野さんは特段革新的なことをやっている訳ではなく、AmazonやGoogleなどの有名企業が今まで散々活用してきたような行動経済学を利用しているに過ぎません。
だからわざわざサロンなどに入らず、行動経済学を学んだ方が遥かに役に立つこと間違いなしです。
行動経済学についてもっと詳しく知りたい方はダン・アリエリー著『予想どおりに不合理』を読んでみてください。
身近な話題を扱っているため、あるあるを楽しみながら読めると思います。
普段自分の意思で選んだと思っていた行動が、実はただ自他に利用されていただけだと分かると悲しくなりますが、それでも自分の行動理由を理解すれば対処もしやすくなります。
最後に
勿論仕組みは簡単でも実行するのは難しいです。その点においては、自分の《財産》をよく理解して利用できている西野さんは天才ですね。
最初のゼロコストの話でも言ったように、《知名度》や《信頼》がないとこのようなビジネスを始めるのは厳しいですが、一度軌道に乗れば管理は容易いです。まさに宗教だからです。
認知的不協和理論
心理学の話になりますが、彼のビジネスが宗教性を帯びているのは上の木の時計台の例を見れば分かります。
傍から見れば明らかに異常な状況であっても、勝手に自己解決して更に信心向上に繋げてくれるためです。
詳しくは下の記事を読んでみてください。
【読書備忘録】『予言がはずれるとき』(1956) - 河原に落ちていた日記帳
どこまで個人の自由を尊重するか
「騙されていたとしても、本人が幸せならそれでいいじゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、果たしてそうでしょうか。
SNSなどを通じて他人の生活や企業広告を多数目にするようになった現代において、本当に自分が望んだ選択かを判断することは容易ではありません。
また、誰かが嘘をついて出し抜いた場合、「嘘をついた方が得する」ことになってしまいます。そうすれば誰も信用できなくなりますよね。
取引において信用は不可欠です。信用が失われたことで取引が成立しなくなれば社会全体の効用は縮小し、嘘をついた本人すらも却って損をするようになります。決して他人事ではありません。(参考『共有地の悲劇』)
本来こういった話は書籍や大学の学問に押し込めておくのではなく、もっと人口に膾炙する必要があると思います。
そうすればある程度は正直者が馬鹿を見るような状況は減らせるはずなんですけどね。
勘違いしないで欲しいのは、仮に誰かが怪しげな拝金活動をやっていたとしても、必ずしもその人が悪いとは限らないということです。
言わずも自分が同じ立場なら同じ行動を取っているであろうことは容易に想像がつきます。
現世の神はお金なのかもしれませんね。
[追記(2021/1/19)]
最近吉本興業を辞めたのはオリエンタルラジオの方でしたね。誤っていたため訂正を入れました。
[追記(2021/2/11)]
結局辞めてしまわれたようですね。
吉本興業のエージェント契約がどういうものなのかは分かりませんが、アメリカのエージェント制度を例に考えれば、
・吉本興業という事務所に所属 ✗
・事務所に所属するエージェントを西野さんが採用 ○
つまり主導権は西野さん側にあるということですから、「なんか偉そうだなぁ」という考えは少々的はずれかもしれませんね。
【虹ヶ咲】新規層と見る虹ヶ咲アニメの感想【6〜9話】
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第1話「はじまりのトキメキ」 https://nico.ms/so37604089
初めに
9話までで各スクールアイドルの主役回がすべて終わりましたね。
振り返って評価が下がった回もあるとは思いますが、SNSや動画配信サイトなどを見る限り、全体としてはかなり評価が良いです。
そんな第6話〜9話を新規層の一人として振り返っていきたいと思います。
私自身、もはや新規層とは言えない立ち位置に入りつつはあるため、多少の身内びいきが入っている可能性があることをご了承ください。
スチルを貼りながら言うのもなんですが、キズナエピソードはまだ歩夢とせつ菜のものしか観ていません。
第6話
正直な所、第5話までの流れであまり期待していなかった分非常に面白かったです。
特に新規視聴者にとってはOPではボードを付け、普段はほとんど表情を動かさなかった理由が分かり、ボードの存在がプラスに捉えられる非常に良い回でしたね。
またMVも素晴らしいですよね。
基本的にライブ中はボードを付けて表情を作る訳ですが、これでは当然璃奈の顔が見られなくなってしまいます。
しかしそこはMVという特徴を活かし、間にボードを付けていない璃奈とのデートシーンを挟むことで、一度の視聴で二度美味しい仕上がりとなっています。
。詳しい話はチエルアルコおじさん(チエおじ)宜しくリナおじにお任せしますが、
基本ランキングでは下位常連だった天王寺璃奈を各主役回及びMVの総再生数共に1位を取るレベルに押し上げただけでも大変意味のある回だったと思います。
第7話
第6話で再び上がった評価を見事に維持することができ、かつ彼方の新たな一面を見ることができた良い回です。
冒頭で彼方を取り巻く環境を示しつつ、毎回眠そうにしていた原因が理解できるようになっているのは見事ですね。
また"Butterfly"に至るまでの流れが非常に美しいです。
彼方は貧しい母子家庭のため、家事やアルバイトをほぼ毎日して家族を支えながら、奨学生としての勉強やスクールアイドル活動にも熱心に取り組んでいます。
しかしその結果、彼方は疲労から急に眠ってしまうような状態に陥ってしまっていました。
当然、そんな姿を見てしまったら責任を感じてしまいますよね。
その後、遥は姉の負担を減らすためにスクールアイドル活動を辞めるという発言をするわけですが、
それに対する答えとして"Butterfly"が来るのですよね。
この"Butterfly"では蝶のように軽やかで優美な、大人の余裕が感じられる姿が映し出されています。
まるで遥が感じた彼方の重荷など存在しないかのようですよね。
どちらかが夢を諦めるのではなく、2人で困難を克服していこうという返事に、遥が流す涙もまた美しいです。
既存の3曲はどれもメルヘンチックで夢見がちな子どもといった印象を受けるものでしたが、
それに加えて今回はどんな苦労にも折れない大人らしさが感じられるものとなっており、彼方の新たな一面を知ることができる非常に素晴らしい曲です。
総合的にはかなり満足感のある回でした。
一方で第5話同様、話の主役以外を中心に据えたのはやや悪手だったように思います。
今回の場合、話の中心人物は遥であり、遥が起こした行動に対して彼方が反応していくという話の作りになっている都合上、彼方の内面があまり見えてこなかったです。
彼方の個性というのは、遥との相互関係上に成り立つのかもしれませんが、それでは遥がいなければ個性が上手く発揮できない事になってしまいます。
また、エマや愛ほどではないにせよ、彼方もやや親和性を感じづらい完璧人間として描かれてしまったのは惜しい気がします。
これはあくまで自分の「完璧人間に魅力を感じない」という主観の問題かもしれないです。
とはいえ、個人的には一番好きな回です。
第8話
かわいい
第6話以降順調ですよね。
第8話は良くも悪くもかなりふわっとした話だったように思います。
話の上手さで魅せるというよりは、小技を多く使うことによって繰り返し観ることでまた新たな発見ができるようになっています。
ことある毎に描かれる、演じている白と本音をハッキリと言う黒の会話シーンが各シーン毎のしずくの内面を映すだけでなく、実は終盤に上演される演劇の一部でもあったというのは上手かったですね。
また黒のしずくを演劇部部長が演じていたのもまた面白いです。
部長はしずくがいつも演じていることを知っており、本人が抑圧していた感情へと彼女を導来たかったのだと考えれば、本音を言う黒のしずくと状況的に重なります。
ちなみにこういったシーンは実際の演劇でも再現することができます。
見た目はネタばらしの通りで、声は予め録音した音声をスピーカーなどで流せばいいだけです。上手くやればスマホでも出来そうですね。
一方で「自分をさらけ出す」ことが出来なかったはずなのに、かすみが自分の存在を認めてくれると言っただけであっさりと出来るようになったことには納得がいかなかった人も少なくないのではないでしょうか。
「そんなに簡単に自分をさらけ出せるようになるなら苦労はしない」と考える人がいても何らおかしくはないです。
これに関しては、皆に好きになってもらいたいから演じている一方で、心の中では演じていては誰にも自分を認めてもらえないと思っていることからくる自己矛盾を解消してくれたから、
と考えるのが妥当でしょうか。いわばかすみの存在が反例となったのですね。
一種の自己催眠に近かったために解けるときも一瞬だったと見れば納得はできます。
推していた相手の許容できない欠点を見つけた時に気づいた途端、あっさりと興味を失ってしまうことがありますよね。それと同じです。
余談ですが、第7話において、遥が皆の前でスクールアイドル活動を辞めると言った時、なぜかしずくが発言の意図を理解できていないかのような質問をしていましたが、特に今回の話とは全く関係なかったですね。
ではよりにもよって彼方や遥と違って裕福な家庭に生まれ、スクールアイドルと演劇の掛け持ちという、彼方に似た状況のしずくがなぜそんな質問したのか気になって仕方がないです。
スクスタならともかく、脇役にもヘイトが向かわないように心がけているアニメにしては、
しずくが賤民の苦労が理解できない貴族かのように捉えられる恐れがあり、なんとも危ないシーンだったように思います。
もちろん掛け持ちすることを苦にも感じていないしずくにとっては、彼方と同じく遥が心配する理由が分からなかっただけなのだと捉えればおかしなシーンでもないです。
第9話
推し変リレーのアンカー
リレーのアンカーにふさわしい回でしたね。
今までは影の実力者のような立ち位置でしたが、第9話では方向音痴であることや、人並みに責任や不安を感じることが分かり、親近感を覚えた人も多いのではないでしょうか。
その他、今まで設定でしかなかったモデルとしての姿が見られたのも良かったです。
にしても果林がイベント出演者の一人に選ばれたのはどうしてなのでしょうね。
メタ的な読みはともかく、自分以外の人に投票する形式で全員が果林を選ぶというのはよく分かりません。
考えられるとすれば、果林が一番「仲間だけどライバル」を実践出来ていたからでしょうか。そうして果林が選ばれはしたものの、一人で大きな舞台に立つことに不安や責任を感じていました。
そんな時に「ライバル」である他の「仲間」がやってきて励ましてくれたことで、「ライバルだけど仲間」という考えに至る訳ですね。
そういう意味で、第9話は個人回を締めくくるにふさわしく、まさに虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会とはこういうものだ、と分かる良い回でした。
最後に
第9話まで通して、実は主役は中須かすみなのではないかと思うくらい存在感がありますよね。物語を作る上で扱いやすいキャラだからでしょうか。
各主役回を順に追っていきましたが、結局の所、既存のファンには好評な一方、新規視聴者にはイマイチ響かないという状況は変わらないように思います。
既存のファンに特に受けが良い理由は明白で、必ず賛否あるスクスタ本編が比較対象となるからです。
一方でそんな事情を知らない新規層にとっては、今の所あまり大きな波風が立つこともなく、平坦で当たり障りのなく、面白みに欠けるように感じてしまうかもしれませんね。
いわゆる日常系、百合系のアニメが好きな人にとっては楽しめるものですが、ラブライブが売りの一つにしているスポコン要素があまり見られないので、
いまいち多くの新規ファンを呼び込むことを目的にはしていないように思います。
アニメはあくまでスクスタ本編の焼き直しだと考えるのが妥当ですかね。
とはいえ、あと4話でどういう話を展開してくれるのか楽しみです。
そういえば、昔スクフェスをやった時に一番に気に入ったスクールアイドルが、実はCVのないキャラだと知ってがっかりした覚えがあります。
アニメにおいてもいわゆるスクフェスモブが度々現れているので、デレステのようにCVを付けてどんどんスクスタに追加していってくれると嬉しいです。
虹ヶ咲②があるのだから藤黄や他の学校の生徒も見てみたいものですね。
余談
全体を通してキャラ毎に文章量に大きな差がありますが、好き嫌いの差ではなく単に思いついていないだけです。なので気づいたことがあれば適宜書き足したり修正したりして行くと思います。
ところで、第9話のED手前の最後で侑が目を輝かせていたシーンがありましたよね。
侑のスクールアイドル化の伏線か?と期待したいところですが、
実際には虹ヶ咲に興味を持ってもらえたことが嬉しくなり、スクールアイドルの魅力を再確認したと言う所でしょうか。
あるいはもし仮にスクスタに追加されるとしても、問題なのは広い意味でのキャラクターのデザインです。
私を含め、アニメのキャラデザが好きな人には、侑が従来のキャラデザになるのはあまり好ましいことではありません。
侑に限らず、いわゆるアニガサキで好きになったキャラは、あるとしても2期や映画を含め、アニメ終了と共にいなくなってしまいます。
一応アニメ開始とほぼ同時にスクスタもプレイしてきはしましたが、
アニガサキに対する欠乏は、同じくアニガサキを繰り返し観ることでしか満たすことはできませんでした。
キャラデザも違えば個性も違い、おまけにアニメ主人公もいない訳ですから、スクスタとアニガサキを同質のものと捉えることは難しいです。
上手く軌道に乗ればほぼ永続的に好きなコンテンツに触れていられるのが魅力のソーシャルゲームですが、
現状スクスタはその要件を満たしておらず、虹ヶ咲というコンテンツへの新規層の長期的確保も難しいです。
あるいはアニメ化によって批判の的となっているスクスタ本編の再製作をしようとしているのかもしれませんが、
それでは尚の事スクスタをプレイする意義が感じられなくなります。
どのみち一過性のアニメを主軸に据えることは出来ないため、やはりスクスタを何とかするのがよさそうですね。
『ペーパーマリオ スーパーシール』のように、ゲームは権利関係や納期などが複雑になっているため、要望を送っても一朝一夕で変わるわけではありません。
長期的な目線で見るしかなさそうです。
【虹ヶ咲】新規層と見る虹ヶ咲アニメの感想【1〜5話】
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第1話「はじまりのトキメキ」 https://nico.ms/so37604089
初めに
シリーズ第3作目にあたる虹ヶ咲では、過去2作とは違った試みをしている甲斐あってか、満を持して公開された第1話はファンにとって期待できる内容だったことでしょう。
既存のファンの中には、最近閉じコン化してしまって停滞気味だったラブライブ!シリーズに、再び新規ファンを呼び込んで盛り上げてくれることを期待している人も多いように思います。
今回はそんな虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のアニメ第1〜5話について、新規層の一人である私の視点で感想を述べていきたいと思います。
視聴動機
私は普段アイマスシリーズを楽しんでおり、
ラブライブシリーズに関しては、キャラクターデザインのギラつき具合と比較的評判の悪いラブライバーの印象から今まで敬遠していました。
そんな私が虹ヶ咲のアニメを観ようと思ったのは、キャラデザと着彩が今風になったからというのと、単に主人公が可愛いと思ったからです。
既存のファンにとってはラブライブ!の"らしさ"の1つにあのキャラデザと着彩があったようですが、ファン以外にはあまりウケが良いわけではなく、却って障害となってしまっていました。
それが今作で改善され、今風のあっさりとしたデザインへと変わったため、新規層の参入へのハードルが低くなりました。
また、既存の虹ヶ咲のキャラに対してあまり惹かれていなかった自分にとっては、新たなキャラとしての主人公の参加は大きかったように思います。
第1話
第1話は新規層を呼ぶにはある程度十分に機能したように思います。
この層にとってはラブライブブランドだからという身内びいきはなく、単に話が面白いか、信頼して見続けられるものかどうかが大切だからです。
そんな中序盤に行われた優木せつ菜のライブでは、2D作画と3DCGの融合が非常に滑らかに行われており、
視聴者も主人公と同じような没入感を感じられるつくりになっていました。
加えて冒頭と終盤のパスケースの下りのように、今まで侑(主人公)の意見を優先していた歩夢が自分でスクールアイドルをやることを決める流れは非常に鮮やかでした。
また気になって見返すたびに細部の工夫が発見できて作り手の本気具合が伝わって安心して観られるなとも感じました。
こうした細かな工夫から、なんとなくで虹ヶ咲のアニメを観た人に興味を持たせることに成功したように思います。
歩夢の主役回としても非常に良かったです。
序盤の様子からは、侑に付いていくことで当たり障りのない安全な道だけを選んでいることが分かります。
しかしせつ菜のライブを転機に、今までは子どもっぽいと思って遠ざけてきたものと向き合い、少しずつ自分で道を切り開く決心が出来たのが良かったです。
メタ的には、あなた(侑)ありきのキャラではなくなるきっかけとなったのもまた良いですね。
第2話
第1話の期待を受けてややハードルが高くなる中、続く第2話も期待通りの内容でした。
3話以降に通ずるせつ菜と旧スクールアイドル同好会との不和を描きつつも、かすみ自身の過ちをおのずと理解し、一回り成長してライブへ向かう流れは前回の歩夢とはやや異なるものであり、爽快感さえ感じました。
また歩夢に続いてかすみのソロライブも高クオリティな出来だったため、毎週の楽しみが生まれて期待値はさらに上がりました。
第3話
3話からは良くも悪くも停滞気味に感じました。相変わらず第4話公開までに3〜5回視聴はしたのですが、どうも第1〜2話で感じたような精巧さに欠ける気がします。
私は1話見てなんとなくでスクスタ始めたおかげでせつ菜の背景を既に知っており、自分でストーリーを補完してある程度楽しむことができました。
しかしそういった例外を除けば、せつ菜(菜々)と母親との関係描写から出てくる「何かあるんだろうな」という想像と旧スクールアイドル同好会との不和しか情報がなく、
第1話のCHASE!からDIVE!に続く流れの意義は十分には伝わらなかったことでしょう。
せつ菜はCHASE!の歌詞とは裏腹に、親による娯楽趣味やスクールアイドルの禁止、またスクールアイドル同好会への義務感と失敗などからくる圧力によって、なりたい自分を我慢していました。
それが終盤の侑とのやり取りを通して解放されていくという流れを表現したいようですが、如何せん全体的に描写が弱かったです。
例えば実際に親と口論している描写や、趣味の物が見つかって捨てられるといった描写があればまた印象も変わっていたはずですが、それだと尺が一話に収まりません。
しかしせつ菜は他の部員と違って皆に通ずる立ち位置にいるのは明白なため、多少他より話数を取っても文句は言われないはずです。
ですので他の部員メイン回と並行して描写しつつ、スクールアイドルや趣味に対する感情の爆発をより盛大に見せた方が良かったように思います。
よく言えばスクスタで長々と10話かけてやっていたところを綺麗にまとめていたとも言えますが、そんなことは普通の新規層には分からないので薄味に感じた人が多かったのではないでしょうか。
ここで強く感動を得られるような人でなければ、同じ流れをあと6話分見続けるのはなかなかにハードルが高いです。
[追記(第9話終了後)]
振り返るとやはり『前同好会で上手くリードできなかった→やらなくていい』という話の展開がまずかったと思います。
これでは結局同好会に戻ることはできても、スクスタ本編のように、再度分裂の危機に瀕した際に主導的立場に立つことが難しくなってしまいます。
理想を言えば、『時に助け合い、高め合う関係丨前同好会で上手くリードできなかった過去』という矛盾を克服して成長して欲しかったです。
そうすれば強キャラからマスコットに成り下がることもなかったのではないでしょうか。
あるいは侑とのやり取りで克服したことになっているのかもしれませんが。
第4話
今までは基本主人公である侑が何らかの形で関与することで各アイドルの成長を促すという流れでしたが、第4話では愛による自己解決に主眼が置かれました。
眉目秀麗・スポーツ万能、これで人柄もいいのですから完璧超人ですよね。
しかし実際問題、完璧な人ほどあまり惹かれないのではないでしょうか。完璧で自分からは遠いところにいる存在よりは、どこか抜けているような描写があった方が親近感が湧いて興味を持ってもらえるはずです。ギャグセンスが残念、というのは親近感を生む要因にはなりづらいですね。
そういうキャラだから、といえばその通りなのですが、それで新規ファンが付いてくるどうかはなんとも微妙なところです。
よく言えば、よく晴れた日の朝のような爽やかな話でした。
第5話
個人的には第3~4話と比較して良い回だと感じましたが、5話の主役であるエマの内面を映すというよりは、親友の果林の悩みを解決する話になっていたことを考えれば、主役回としては物足りないように感じました。
愛と同様、エマ自身には欠点はなく、キャラクターとしての深みが感じられたかどうかは大部分視聴者の想像力に委ねられる内容だったように思います。
例えばここからエマのことを天使のような慈愛に満ちた存在と捉えるか、あるいは既にエママと言われているように、母性を持った存在と捉えるかした人にとっては刺さるかもしれませんが、ややニッチなジャンルのため、新規ファンの獲得に成功したかは謎です。
エマの主役回と考えず、果林との関係を百合っぽい描写として楽しむものだったと考えれば新規層の視聴継続に一役買ったと思います。
まさにどこまでも続く平野のような話だったというべきでしょうか。あわよくばアルプス山脈にも登って欲しいものです。
新規が入ってくるには
アニメを経て、ある程度の新規ファンが増えるのは確実ですが、アイドルコンテンツが増えた今、全盛期のような盛り上がりを見せるほどにファンが増えるとは思えません。
もし仮にアニメで火の付いた視聴者が出てきたとしても、その火を消さずに保存・増強させるための要素に欠けるからです。
ならば今あるコンテンツの良さをピックアップして紹介する必要があります。
新規ファンが入ってくるためにもスクスタのネガキャンをするだけでなく、新規視聴者の琴線に触れそうなスチルなどをSNSに挙げてアピールすると良いと思います。
私の場合はアニメ第1話を一度観た段階ではさほど気にもならなかったのですが、調べている時に偶然上の画像を見つけてしまい、なぜか衝動的にもっと知ってみたいと思うようになりました。
9人それぞれに1話ずつ主役回があるようですし、そこで少しでも引っかかるものがあれば新規ファンが増えてくれるかもしれませんね。
ただ基本的にオリジナルアニメの場合、キャラ集めに話数を取るのは得策ではありません。もちろんキャラの掘り下げは必要ですが、全員分終わったら次に進むという構成ではどうしても冗長に感じてしまいます。
ジャンルは違いますが、プラネット・ウィズのように第1~3話から大きな展開を見せつつ、その後ストーリーの流れの中で各キャラに注目していく形が理想的です。
しかし現状9話までは各アイドルの主役回に終始しそうなので、本アニメに飽きる前に誰かしらに興味を持つか、単純に百合っぽいアニメが好きで居続けてくれない限り、新規層は定着してくれそうにないですね。
シリーズ構成は既に決まっており、今後流れは変わらないため、アニメそのものの引き込み能力に期待するのは難しいでしょう。
最後に
肝心の例のシーンを見たいがためにキズナを上げていきましたが、どうやらメインストーリーの15章10話でのイベントスチルだったようです。
メインストーリーは聞く限り不評のようですが、キズナ・サイドエピソードはキャラを好きになるには向いているため、新規層にはただ「スクスタはストーリーがつまらないから」と言わずにこちらを勧めるべきですね。
ただこのプロジェクトが開始当初、アニメ化をせずにスクスタ一本でやっていくことを考えていたのであれば、単純に百合っぽい話にするのではなく、シャニマスのような光と影、裏と表を描いて強い惹きを生むような話にしていた方が良かったように思います。アイドルのことを考えて夜も眠れなくさせるのが理想ですね。
虹ヶ咲アニメの話が来るまで、リリース時にダウンロードして1章だけやっていたことは完全に忘れていました。まあ内容はほとんど覚えていなかったので初見と変わりありません。
ソーシャルゲームは長く続けられない性格ですが、少なくともコンテンツ自体を楽しむ境には入りました。
この手の後発参入組にとって最大の難点はファンの間で使われる内輪ネタが分からないことです。ラブライブ!のような声優とセットのコンテンツでは、肝心な生配信などの公式アーカイブが殆ど残っていないため、当然後追いして追いつくのは難しいです。
ましてやアニメ化をファンと勝ち取ったという流れを汲んでいるこの虹ヶ咲においてその過程を見られないことは新規層定着の障害になってしまいかねないです。
今後に期待したいところではありますが、そうこうしているうちに世代交代してしまいそうですね。
早いうちに手を打って、振り返り配信をより積極的に行ったり、よく話題に上がる回をアーカイブ化して自由に観られるようになったりしてくれるといいのですが……望み薄ですね。
ちなみにスクフェス公式、ファミ通、電撃の3か所に分かれて活動していた時の動画は今でも残っています。基本的な内容はゲームと四コマ漫画読みですが、興味があれば観てみてください。
余談
アニメからの新規層の受け入れ先になるはずのスクスタですが、果たしてうまく機能するのでしょうか。
先日始まったSeason2はさっそく賛否両論なようで、セレパラ(プリパラ2期後半に登場する組織)のようだとも言われているのをちらほら見ました。
一応ランジュのMVは見ましたが、ランジュにはセレパラ主催の紫京院ひびきにあった様な、視聴者にも分かるほどの強さとカリスマ性のようなものは感じませんでした。
またプリパラの方ではグループから離脱する理由も文字通り「より高みを目指したい」というものであり、残るメンバーもそれを後押しする形で展開していったため、いたずらに不安感を煽るだけではなく、話の面白さを加速させることにプラスに働いていたように思います。
それを鑑みるとスクスタSeason2は何とも不安な走りだしとなりましたが、虹ヶ咲に対する思いを強くしてくれる話になることを願います。
【グラスリップ】アニメには珍しい挑戦作【紹介と考察】
©glasslip project
最初に言っておきますが、『グラスリップ』はアニメには珍しい挑戦をした作品であり、
名作であると断言します。
初めに
「人類には早すぎた作品」
「虚無アニメ」
「意味が分からない」
『グラスリップ』がこのように評価されているのをよく見たことがあると思います。
ニコニコ動画のコメントなんか、事ある毎に小馬鹿にしたような内容が見られました。
ですから正直な所、dアニメストアにこの作品がなければ今後も敬遠していたと思います。
ですがいざ見終えたら世の評価に反して
「めちゃくちゃ面白かった」
という感想を抱きました。
それと同時にあのように言われている理由も分かりました。
以下、まずこの作品が「意味が分からない」と言われている理由から説明していくこととします。
まだ観たことのない方は『意味が分からない理由』の項目だけ観ていただければ幸いです。
意味が分からない理由
結論から言うと、この作品が大半のアニメ視聴者に馴染みのない『不条理劇』のテイストを含んでいるからです。
端的に言えば、意味の分からない要素が放置される形式のことです。
一般的なアニメで採用されているのはそれとは別の"Well-made"(よくできた)方式です。
これは、
①会話が成立している
②ストーリーに論理性がある
③登場する人物やモノに具体的な意味がある
大体この3つが当てはまれば"Well-made"な作品といえます。
「そんなの当然でしょ」とお考えになった通り、アニメに限らず一般的な物語は殆どがこれです。
例えば『プリンセス・プリンシパル』はまさにこれに当てはまり、第1話で暗殺対象に保険金を掛けることを唐突に思いついた理由さえも明確に表現されています。
対象の妹が通院している病院に行くシーンで、通りに保険に関する張り紙がありました
対して『不条理劇』的作品ではこの3つのうちのどれか、あるいは全てが真逆になります。
つまり会話が成立していなかったり、ストーリーに上手くつながっていなかったりするわけです。
「なんだそれ…何がしたいのか意味が分からない」
と思ったかもしれませんが、まさにその通りなのです。
考えてみれば、案外世の中合理的に理解できるモノよりそうでないモノの方が多いです。
人間理解できないものは怖いですし、避けたり排除したくなるものです。
最近「迷惑系YouTuber」という言葉を度々耳にしますが、あれはまさに理解できないモノの典型ですね。
本作のテーマが「若いころに抱く漠然とした今や将来への不安と期待」だとすれば、
そんなものに正解はないですし、そこで抱く感情を言語化して他者に表現することはできず、ずっと尾を引く悩みになりますよね。
そんな不条理なテーマに対しても真正面から切り込んでいくのが"Well-made"だとすれば、
同じく不条理的表現でもってアプローチをするのが『不条理劇』であり、本作なのです。
何も私が思いつきで既知の概念と本作の内容を結び付けたわけではなく、
第1話から既に鶏の名前にフッサールなどの哲学者の名前を使用していることからも、
本作が哲学的テーマについてか、哲学のように正解のないテーマについての物語であることは明らかだからです。
不条理劇的物語の楽しみ方
さて今まで長々と『グラスリップ』が他のアニメ作品とは形式が違うことについて書いてきました。
『不条理劇』的物語の楽しみ方はとにかく作品世界を楽しみつつ登場する要素について考えることで、物語やテーマに対する自分なりの理解を得ることです。
「1話から意味が分からない」のは当然で、最悪観終えても意味が分からないことなんてザラにあります。
ですが曖昧な要素を1つずつ自分なりに解釈していくことで作り手がどのような世界を見てほしいのかが分かるようになります。
ここで大切なことは見終えた時に全てがハッキリと分かることはないのだと理解しておくことです。
そうすればガラスのように透き通り屈折したこの物語を最大限楽しめるようになると思います。
駆の分身について
作中沖倉 駆は視聴者が驚くほど唐突に、かつどれが本物か分からなくなるほどハッキリと3人に分裂します。
これは単なる色彩の都合で特に意味がないのでしょうか?
私はこの分身はIFの選択肢であり、駆本人にもどの選択が正しいのか分からない状態を表しているように思いました。
なぜなら駆は後述する『未来の欠片』という能力が身につくほどに未来に対する漠然とした不安を抱えているからです。
しかし駆の『未来の欠片』は声しか聞こえず不完全。
だからこそ一緒にいると映像と共に完全な未来視が可能になる深水 透子に惹かれていくことになるわけですね。
母親が転勤族で共に助け合える友達も作れない駆が将来に不安を抱いた結果そのような状態に置かれ、そして透子に惹かれていくというのは当然の結果かもしれません。
唐突な当たり前の孤独
前述の通り、母親が転勤族である駆は毎回転勤先で友達を作ることになるわけですが、既にできた輪には容易に入ることができず、地元の祭りがあると必ず独りになってしまいます。
その時に抱く孤独のことを駆がそう名付けています。
結局どういうものか分からなかったかもしれませんが、これは言葉では表現できません。
だからこそ12話丸々使って表現したわけです。
12話では前回までの流れを完全に無視して透子と共に未知(IF)の世界に入り込み、駆が感じた『唐突な当たり前の孤独』を追体験させる作りになっています。
最初観た時は「前話見忘れたかな?」と思いましたが、まさにそんな感覚でもって12話を観ていけば自然に理解できるようになります。
ここはなかなか上手いなと思いました。
未来の欠片について
序盤、駆は *映像付きで未来視ができる主人公 透子に興味を持ちます。
ですが中盤から未来視とも言えない映像を観るようになります。
そしてどうやら透子の母親も青春時代同じ経験をしたものの、時と共に忘れていってしまったようです。
遺伝するものなのでしょうか
これが一番の謎かもしれませんね。
1つ考えられるモノは『IFの世界を見せるもの』です。
若い頃には大学進学・就職や人間関係等々に色々な選択肢があるのにどれを選べばより良く生きられるのか分からないですよね。
だからこそ未来が見える事を望んだ結果、IF世界のひとつが見えるようになったと考えれば自然です。
序盤は確かに見た通りの状況になっていますが、中盤以降は例えば駆が転落する(かもしれない)世界を観ることになるものの、結局何も起こりません。
更に12話では透子が駆母のピアノ演奏を聴くことで **『駆と透子の立場が逆だった場合の世界』を観ることからも『未来の欠片』が『IFの世界を見せるもの』というのも間違いではないように思います。
なぜ透子の『未来の欠片』で雪が降るようになったのかについては12話の世界を見ることになる前兆か、あるいは駆の孤独さを理解し始めたからかもしれません。
高校生の時の冬は友達といてもなんとなく孤独を感じたものです。
後半雪が降り始めたり12話のIF世界が銀世界なったりしたのは孤独の表れなのかもしれませんね。
*:なぜ透子が映像付きで見られるのかは不明。しいて言うならガラス細工屋YATAGLASS(ヤタガラス)を営む家の子であり、かつガラスはビー玉のように見える世界を少し屈折させて見せることから違う世界、IF世界を見るようになったのやも。
**:駆が長年この町にいるはずの世界なのに実家に自室としてのテントがあるのは不明。そして祭りの時に一度あったはずのメンバーとは違う分身が現れるのは恐らく自分は仲良くなったはずなのに祭りになるとまるで知らない人かのように振舞われることを物理的に示している。理想と現実の分化。
止め絵は予算削減や作画崩れ防止のため?
可能性としてはなくもないですが、
『true tears』という同監督の作品でも同じく止め絵(ハーモニー処理)が使われており、この処理を意図的に使用していることが分かります。
では何のために多用しているかについては2つ考えられます。
1つ目は場面転換のためです。
特に次のシーンで大きく内容が異なる場合、一度視聴者の意識を引き付けてから次に移ることがあります。
この時にハーモニー処理を使えばそのシーンが終了することが分かりますよね。
ポケモンの終わりにもよくハーモニー処理が使われています
2つ目は印象的な絵画として描き出すことで、青春の1ページとして刻み付けるためです。
例えば1話のカフェのシーンでの絵はいつものメンツがカフェに集まるという楽しかった思い出を切り取って強調しているように思います。
なぜならその後の展開を見れば序盤は『みんなといて楽しかった記憶』、中盤は『それぞれが変わっていくその姿』を切り取って際立たせているのは明白だからです。
ちなみにそうなるとやなぎの脱衣シーンでのハーモニー処理の多用が謎ですが、これは雪哉との関係などが中途半端になっていた状況からの脱皮を強調して表現したかったのだと考えれば分からなくもないです。
この2つのどちらかが正しいというよりかは、場面に合わせて使い分けていると言った方が正しいです。
最後に
P.A. WORKSのオリジナル作品は大体好きですが、だからと言って全部がいい作品だと思っているわけでもありません。
実際の所、自分で観るまでは他の人の考察や反応を見て「P.A.の黒歴史」だとか「駄作」だとかいう評価を真に受けて笑っていましたし、
『不条理劇』の面白さを知ることがなければ同じような反応をしていたと思います。
今回使用した"Well-made"と『不条理劇』というのは演劇用語ですから、
演劇が好きな人なら『グラスリップ』が他とは趣の違うアニメであると分かったのではないでしょうか。
もちろん会話もストーリーも成り立っているため厳密にいえば"Well-made"なのかもしれませんが、とにかくこんな曖昧さを残すアニメは初めて見ました。
だからこそこの作品は『挑戦作』なのです。
私自身初めて『不条理劇』を観た時は何が面白いのかさっぱり分からなかったのですし、
なぜこの形式が演劇界隈で市民権を得ているのか理解不能でした。
しかし如月小春さんの『ANOTHER』という劇を観てからその良さが分かるようになりました。
この『不条理劇』を楽しむために必要なことは「意味が分かること」ではなく「その意味を考えることを楽しむこと」であると気づいたからです。
上で紹介した『グラスリップ』の要素の理解はあくまで私個人の考えであって正解ではありません。
『不条理劇』に限らず、作品を読むことは決められた見方で作者の思うままの作品世界を楽しむことではありません。
アニメそれ自体はあくまで物語を読むための装置に過ぎず、それに意味を持たせるのは読み手に他ならないからです。
私がたまたま演劇の知識を持っていたからこそ、この作品を演劇的に捉えただけであって、別の知識を持った人ならまた違った見方をするかもしれません。
例えばNETFLIXオリジナル映画の『バード・ボックス』を見たままにとらえる人もいれば、聖書の知識を持つものならそれになぞらえた物語になっていると考える人もいます。
ですがそれはあくまでデモンストレーションの一つであって、どれが正しいというわけではありませんが、
サッパリとしつつも言いようのない感覚について追体験を交えつつ様々に考えさせてくれる『グラスリップ』は、その意味で名作と言うに相違ない作品です。
万人受けはしないかもしれませんが、改めてみてみるときっとまた違った見方で楽しめることと思います。
ぜひともその世界や考えることを楽しんでみてください!
ちなみに「透子役の人の演技が下手だ」と言っている人もいましたが、
むしろこの作品の主人公が他のキャラと同様にキレイな演技をしていたら彼女の曖昧さを表現することができません。
透子がその曖昧さを持っていなかったとしたら、『未来の欠片』という能力を持つこともなかったでしょうから。
[おまけ]言葉遊び
余談に言葉遊びをします。
まずタイトルの『グラスリップ』は"glass lip"のことでグラスの飲み口を表します。
この作品の時期は学生時代の夏休み、やはりイメージするのはラムネのボトルです。
ラムネを飲んだことのある人なら飲み口から望遠鏡のように周りを覗いたことがあるのではないでしょうか?
瓶の底から世界を覗くとゆがんだ世界が見えますよね。
もしかするとラムネの炭酸がはじけるような爽やかさとゆがんだ別世界、IFの世界を合わせて表現したタイトルなのかもしれませんね。
もう1つは透子らいつものメンツが集っていたカフェ『カゼミチ』についてです。
これは”風の通り道”のことであり、そこに停滞していた皆を"駆"が文字通り追い立てることで成長を後押ししていくことを暗に示しているのかもしれませんね。
【プリリズ】皆が人生の主人公【レインボーライブ】
プリティーリズム・レインボーライブ 第1話「私はなる!店長にな~る!」 アニメ/動画 - ニコニコ動画
実は本作を観終えたのは2ヶ月程前で、下書きも書いていたのですが、なかなかまとまらなかったために今に至りました。
それはそうとプリズム婚、おめでとうございます!
初めに
今回はそんな家で暇している時こそ観てほしい
『プリティーリズム レインボーライブ』です。
やや暗めの話なので最近暗雲立ち込めている現実からの逃避には期待できませんが、あらゆるキャラに寄り添って心動かすのには最適です!
家にひきこもっていては無感情無感動になりがちですからね。
そして観終えたときには「観てよかったな」と思える最高の作品であると断言します!
[略称と世界]
AD…オーロラドリーム[第一作目]
DMF…ディアマイフューチャー[第二作目]
――――――――(別世界)――――――――
RL…レインボーライブ[本作]
作品について
ヒューマンドラマ
人はそれぞれ自分が主人公である人生を送っています。そしてその糸が幾重にも重なり、絡み合って出来上がるのが我々が生きる世界というものです。
ですが大抵それを創作物として見る場合、我々は主人公やその仲間のみに注目するため、主要人物のみに人生があるように見えます。
言い換えれば、
主要キャラのみが本当にそこに生きているように思えるだけで、サブキャラは主要キャラのキャラクター像を作るいわば舞台装置の1つに過ぎない、というのが大抵の作品によくあることです。
勧善懲悪モノの悪役なんて正に主役を引き立てる道具にしか見えないですよね。
ですが本作は違います。
この作品においてはモブキャラを除きほぼ全ての登場人物が生きているのです。
各人が自分の人生を生きているのなら当然それぞれに今に影響を与える過去があります。
例えば親友を亡くしていたり、愛する者の愛を充分に受けられなかったり…
普通に観ているとついつい主人公視点に立ってしまい、敵対するものを敵とみなして相手のことを考えようともしなくなりがちですよね。
しかしその相手にもそういう言動をする訳があります。
この作品ではそういった見過ごされがちなキャラの心情を見事に描ききっているのです。
だからこそ登場人物の言動1つ1つに思いを馳せながら観ていくことで様々な人の考えや立場、心の変化を理解することができます。
相手の心情を慮るのは現実でも不可欠なことですよね
国語の文章題のように難しいと思ったかもしれませんが問題ありません。
この作品では主役 彩瀬なるの視点に立つだけで大方のキャラの在り方を見通すことができるからです。
前2作品を踏まえて
まさにプリティーリズム3部作の集大成です。
キンプリの影響とシナリオの良さからこのレインボーライブだけ観たという人も多いようですが、AD、DMFあってこそ最高に楽しめる内容となっています。
また、AD、DMFとはショーの評価方法も異なり、また新たな風を感じられます。
AD、DMFは同じ世界の話ですが、今回は全く別の世界の話です。
引き続きプリズムショーが大人気な世界が舞台であり、プリズムジャンプやプリズムアクトを駆使するのは同じですが、
新たにプリズムライブというものが追加されます。加えて今作では特に何連続ジャンプを成功したかが重要となります。
というより何回飛んだか以外の評価基準を視聴者が知ることはできません。
そのため、どちらが強いのかが明確で勝敗にも納得がいきやすいようになっていますね。
それに監督が仰っていたらしいのですが、
RLは子供向けアニメの時間帯にやりながら、対象は初めから子供ではなく大人にしていたらしく、前2作のような少女マンガチックな要素がかなり少ないという違いがあります。
だからこそプリリズシリーズでは一番人気なのでしょうね。
プリティーリズムシリーズを知らない方や「プリズムジャンプって 笑」という方はまず一作目 オーロラドリームの1話を観ると分かると思います。
最大の特徴は運動神経の良さはあまり関係ないということですね。
最後に
女児向けアニメというとついつい敬遠してしまう人や「深夜アニメに敵うわけない」という先入観を持ってしまう人も少なくないでしょうね。
私も相当数深夜アニメを観てきましたが、このRLは今まで見てきた作品の中で1、2を争うレベルの名作だと断言できます。
なんせ一般的な深夜アニメの2〜4倍ものボリュームがある上、捨てる回がないと言われるほど緻密な作りになっていますからね。
ヒューマンドラマの項目の最初に書いたとおり、各キャラクターの人生が糸のように連綿しており、それが複雑に絡み合い、そして最後には1枚の美しい布となる。
とある人物の名前の由来にもなっているこの例えはまさにこの作品を説明するに相応しい言葉だと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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⚠ネタバレ感想を含みます。
余談コーナー
結末について
32話の天羽ジュネのショーを観た時はこんなの勝てるのかと思いましたが、実際に勝負したのはりんねやべるだけで主人公ではなかったのには驚いたのと同時に上手いなぁと思いましたね。
この手の作品って親や家系が偉大だったとか誰にも勝る潜在的な天賦の才を持っていて最終的には勝つといった展開が多く、『主人公補正』など興醒めすることを言われがちですよね。
この作品でも努力家の蓮城時べるが主人公 彩瀬なるについて「才能がある」と言及しており、結局勝つのかなぁと思っていたため非常に驚きました。
登場人物皆が主人公の作品だといわれている所以がよく分かりますね。
今作の採点方式
話は変わって今作の採点方式の件です。
正確には作品中の世界ではダンスや歌の精度やジャンプの難易度も大いに関係しているようなのですが…
視聴者としては同じ演目では毎回同じCGモーションなわけですから練度なんて分からないですし、ライブの勝敗にしても単純にどちらの演技が良かったなんて比較できないですからね。
そんな中、32話の天羽ジュネによるショーは圧倒的で思わず感動してしまいました。
まさにプリリズ3部作最後のラスボスに相応しい構成でしたね。それだけでADのストーリーを作ってしまうオーロラライジングを3連続目に使い、DMFでADの主人公 春音あいらが完成させた無限ハグ エターナルを使い、
『キス→結婚→妊娠→出産』
つまりジュネにとって望む愛を表現したのは素晴らしいとしか言いようがないです。
おまけにその中にある強い思いを感じ取ってしまうから思わず感動してしまうのですよね。
アニメやリアルを含め、歌やダンスでここまで感動したのは初めてかもしれません。
32話を観た段階ではなんか感動するという感想でしたが、49話における叶わぬ恋に対してそれでも抱いてしまう強い愛情がよく表現されおりなんだか泣きそうになりました。
一方で少し気になるのはプリズムジャンプの難易度と各ジャンプの普及率についてです。
AD、DMFの世界においてはオーロラライジングが基本的に最高難度の技とされていましたが、このRLの世界においてはどうなのでしょうね。
技をAD・DMFの世界に広めたのがジュネだとすれば、ジュネが飛べるのは当然なのですが、RLの世界では彼女以外に誰もこの技に挑戦していないのでしょうか?
あと無限ハグ エターナルはあいらオリジナル技がジュネに出来たのはプリズムワールドに情報が入っていたからでしょうか?
あるいはプリズムワールドに存在したからこそその技が現実世界に生まれたということなのでしょうか。
ジュネ様の髪型について
なんと言っても最初に見た時から気になって仕方がないのがジュネ様の髪型ですよね。 笑
作中では何故その髪型なのかは聞かないのが暗黙の了解らしいですが、実際にはどういう意味があるのでしょうか。
私が考えついたのは、「愛する氷室聖に母親のように認識してほしくはなかったから」ということです。
ジュネ様は作中でプリズムの使者として舞い降りた時に気になった、あるいは一目惚れした聖の母 マリアに姿を似せることになります。
それはもちろん、マリアに似せることで聖の気を引きたいからなのですが、かといって母親と接するように慕われては困ります。
母親は当然恋愛対象になりませんからね。
ですから意図的に自分を強く印象づける、つまり全体像から注意をそらすためにあえて特徴的な髪型にしたのです。
そうすることで聖に無意識的には大好きだった母親の面影を感じさせて気を引きつつも、
意識的にはただ新たに出会った自分という存在自体を愛してもらえるようにしたのだと考えました。
現に髪を解いた姿は髪色以外はほとんどマリアにそっくりですよね。
にも関わらず、残念なことに結局朴念仁にはなかなか彼女の愛は伝わらなかったようですけどね。
優劣の明確さ
プリティーシリーズはプリパラ→プリチャン→プリリズと観ていった訳ですが、プリパラにおいては正直どちらが勝ったか納得できる要素が新曲であるかメイキングドラマくらいしかなく、勝敗に納得できない視聴者も少なからずいたと思います。
プリリズではプリズムジャンプの難易度や連続ジャンプの回数という比較的明確な判断基準があったのが良かったです。
オーロラライジングを跳べば凄いし、何連続もジャンプすれば「勝ったな」と分かりますからね。
一方プリパラではどうして明確な判断基準を設けなかったのでしょうか。
1つはそもそもアイドル活動に優劣が付けづらいからで、もう1つは『みんなアイドル』という原則に反してしまうからではないでしょうか。
ランク付けがある以上優劣は存在しますが、
「これができないとダメ」という基準がなければそれに縛られることもなくみんながこの先の自分に期待できますし、なによりみんなが思い思いの理想のアイドルでいられます。
失敗しないでね
もちろんそんな『優しい世界』がずっと続くわけもなく…
となっていくのがプリパラの面白いところでもありますね。
やはりプリティーシリーズは面白い!
【VTuber】YouTube動画の字幕作成[追記あり]
『うすあわせ』なんて日本で生活している人でも知らない人が多そう…
回転焼きかな?
英語字幕作成に挑戦
と言う訳で、ノリと勢いだけで『餅月ひまり』さんの動画に英語字幕を付けました。
餅月ひまりさんについてはたまたまYouTubeのオススメ動画に『600万円を広告費に費やした』件に関する動画が流れてきたので少し見始めました。
大学までの学習英語しか知らないので、口語表現を上手く訳すのがとにかく大変でした。
各文章ごとに意味を考え、知っていても念の為検索をかけて訳す、というのを繰り返した結果、授業そっちのけで 15時間程はかかりました。(もしくはそれ以上)
当然有志なのでお金は一銭たりとも入りませんが、もし好きなVTuberさんがいらっしゃるのであれば、
字幕作成に挑戦してはいかがでしょうか。
日本語字幕だけでも海外の方に広めるには十分です。
「プロに頼もう」とは言わない
以下、具体的に何に時間が掛かるのかについて書いていきます。
タイムライン合わせ
昔サークルの新歓活動用に動画を作ったときは素人なのもあってか、全体2分ほどの動画を作るのに1ヶ月もかかってしまいました。
その主な原因は1フレーム(1/30秒)単位で文字や図形などを出すタイミングを合わせるのに拘ってしまったからです。
1/30秒のズレなんて別に気づかないレベルだと思うかもしれませんが、実際に観てみると結構違和感を感じてしまうものです。
この英語字幕作成では動画そのものは作らなくてもいいものの、この1フレーム単位で字幕を入れていく作業にとにかく骨が折れました。
音声波形があまり参考にならない件
[5/31 追記]
字幕を付ける時は先に必要なだけ適当に枠を区切って訳し終えた後に仕上げ作業としてタイムライン合わせをした方が良いです。
字幕の高さ合わせ
上の画像を見てもらえば分かると思いますが、元動画によっては字幕と出演者さんに被ってしまっています。
YouTubeから字幕を作る場合は位置が変更できません。
『アイドルマスター』のアニメシリーズをご存知の方なら、アイドルの顔に字幕(アニメではスタッフロール)が被らないようにしたくなる気持ちが分かるのではないでしょうか?
例えば字幕を1つのセクションにたくさん入れる場合や補足説明が必要な場合はどうしても被ってしまいがちになります。
なのでセクションをさらに区切って1つあたりの文章量を減らしたり、
「外部コラボを増やす」を無理矢理"more collabs"としたりして被らないように工夫しました。
しかしそうなるとYouTubeには中間点作成や分割機能がないため、一度揃えたタイムラインの一部をまた揃え直さないといけなくなります。
これも時間が掛かってしまう原因ですね。
翻訳の難しさ
言うまでもなくこれも時間がかかってしまう原因ですよね。
最初に上げた『うすあわせ』やふきのとうのような日本特有のものはもちろん、
"素"のひまりで"素まり"や、アジと紫陽花を掛けた言葉遊びなどの説明をしたり、
いわゆるキモマロの気持ち悪さを表現したり、
「~なんだけど、」や「えっと…その…なんか、」といった日本人でも説明しづらい言葉を訳すのにも大変手を焼きました。
今思えば「…行くか」は"Let's go ahead!"の方がそれっぽかったですね。
字幕作成に初めて挑戦するのであれば、マシュマロ返信系の動画には覚悟の準備をする必要がありますね。
もちろんマシュマロ返信動画にはその人の良さがよく現れていると思うので、やって見る価値は大いにあります!
餅月ひまりさんについて
説明が遅れましたが、
600万円広告費に費やした結果、動画のコメント欄にはやたらとキリル文字を見るようになったVTuberさんです。
中におっさんが入っているのかと勘違いするレベルの趣味をお持ちの変わった方ですね。
詳しくは上の動画を観てみてください。
どうやらロシア人には英語が日本人レベルにしか通じないらしく、英語字幕をつけてどれだけ意味があるのかは分かりませんが、
まぁないよりはましでしょうね。
ロシア語字幕はロシアの方に任せた方が良いですね
最後に
字幕作成者として名前を載せることは主目的ではありませんが、100%自作したのに『字幕協力者』扱いなのはなんだか悲しいですね。
恐らくタイトルや概要欄の英訳を他の人がやっていたからだと思います。
字幕作成はYouTubeからだけでなく、どうやら字幕ファイルを作成してアップロードすることもできるようです。
この方式を取れば動画編集ツールを使って文字の位置や色替えもできるのでしょうね。
以前マシュマロの上にそのまま訳文が乗っているのを見かけたことがありますが、
あれは.css形式の字幕ファイルを作ったからだったのでしょうか。
[追記].cssではなく.scc(推奨)で対応するファイルなら何でもいいようです。
ともあれ、
多分忘れますがスラングの使い方を知りたい人や、
単純に訳の練習になるので受験で長文和訳が課される人はやってみるといい実践経験になりますよ!!
注意点としては、作成した字幕審査を通過するには動画投稿者本人か他の人に承認してもらう必要があるため、本人にメッセージを送ったり他の人に協力を仰いだりする必要があるようです。
ちなみに同じ所に所属している『赤月ゆに』さんの動画の中では、千葉のイ人について紹介する動画が好きです。
[5/30 追記]
これはやっちゃいけないタイプのミスですねぇ…
ご存じの通り、現在完了haveとfor 〜agoはもはや謎の組み合わせになっていますね。
こんなのでも英語字幕くらいなら付けられるので軽率に字幕付け作業にトライしてみてください。
【ミュークルドリーミー】老若男女問わず楽しめるサンリオアニメ
ミュークルドリーミー 1話「はじまりのストーリー」 - ニコニコ動画
最近始まったばかりのアニメです。
まるで無意味な間に親を殺されたかのようなテンポの良さに加え、
子供向けアニメとは思えない作画と色彩の良さが光る作品です。
初めに
今年の4月5日から始まったアニメです。
このアニメ『ミュークルドリーミー』はニチアサの続きとしてテレビ東京を中心に放送され始めた子供向けアニメです。
が、原作が安心と信頼のサンリオなので、大人でも(大人になってこそ)楽しめること間違いなしです!
作品について
心強いスタッフ陣
まずスタッフ陣が大変心強いです。
アニメ制作は普段深夜アニメを作ることの多い『J.C.STAFF』で、監督は『ジュエルペット ハッピネス』や『まちかどまぞく』でお馴染みの桜井弘明さんです。
子供向けアニメは毎週放送で計一年間という長期のためか、色彩(色の塗り)にあまり拘っていないことが多く、シンプルな出来であることが基本なのですが、
この作品は見たらひと目で違いが分かるほど丁寧に仕上げられています。
大体10〜26話で終わる深夜アニメと同等です。
またまちかどまぞくを見たことのある方ならご存知の通り、
監督の手掛ける作品は話のテンポが非常に良く、かつ会話の内容にも独特なおかしさがあるのが特徴です。
監督の他作品については以下をご参照ください。
https://m.youtube.com/watch?v=pLcPy6laGaU
↑ジュエルペットは現在10週年を記念してYouTube公式チャンネルにて全話無料配信中です。
まちカドまぞく 第1話 「優子の目覚め!! 家庭の事情で今日から魔族」 - ニコニコ動画
↑普通の学生だった子がある日自分が魔族であることが分かり、魔法少女とゆるく戦うことになる話です。
あらすじ
日向ゆめはとっても明るく元気な中学1年生。
ゆめは入学式の前日、お空の上から落ちてきた謎のぬいぐるみを拾います。
そのぬいぐるみは自らを『みゅー』と名乗り、突然話し始めたのです。
しかも、みゅーはパートナーと心と心を通じ合わせると
同じ夢の中に入ることができる『ユメシンクロ』という力を持っているといいます。
その夜ゆめが見た夢にお空の上にある
ミラクルドリーミー王国の女王様が現れ、ゆめに告げます。
みゅーと一緒にドリーミーストーンをいっぱい集めることができたら
あなたの夢をひとつだけ叶えます、と。
こうしてゆめは新しい中学校で恋に部活に胸をときめかせながら
みゅーと共にドリーミーストーンを集めることになるのです。
引用元:ストーリー ミュークルドリーミー|テレビ東京アニメ公式
ざっくりと言えば、主人公の日向ゆめたちがみゅーを初めとしたぬいぐるみの『ユメシンクロ』という能力を使い、
他の人の夢の中に入って悩み事を解決したり、部活動体験をしたりしながらドリーミーストーンを集める話です。
少女向けアニメらしく南川朝陽という生まれた時からのお笹馴染みイケメンがいたり、入学早々憧れのテニス部の先輩に出会ったりと、
今後恋愛や部活にも励む姿が見られそうですね。
一方で大人でも楽しめる要素として、
早速1、2話からメタネタや独特な言い回しでも楽しませてくれました。
エンディングでは主人公たちの3Dキャラによる可愛いダンスが披露されており、一緒に踊ってみたりと親子でも楽しめるようになっているのもまた良いところですね。
まだ始まったばかりなので、これからどんな話が繰り広げられるか楽しみです。
最後に
普通キャラクターが売りの会社はアニメでも視聴者にとって正当に魅力的に見えるようにするものです。
にもかかわらず、サンリオアニメの場合は売りのはずのキャラクターに『カスにはカス(天かす)がお似合いラブ』と平然と言わせたり、
子どもそっちのけで大人にしか分からないようなネタを挟んできたりします。
それでもしっかりとキャラの良さが伝わるようになっているのが良いところです。
ちなみに深夜帯アニメにも『SHOW BY ROCK!!』シリーズを展開しています。
3話の予告を見る限り、またサンリオらしい面白さで魅了してくれそうなので楽しみです。
ニコニコ動画では1話以降は有料になりますが、大変テンポが良くて面白いですので気にいれば2話以降も録画するかdアニメストアなどで見るかしてみてください!